7章  「霊性と霊格について」 by ヒラリオン 


 はじめまして。このたび初めてこの場にてメッセージをお伝えいたします。

 わたくしこと「ヒラリオン」は、かつてはアトランティスに於いて

神官を務めていたことがありますが、現在はシャンバラにおける、

聖白色同胞団(ホワイト・ブラザーフッド)の聖者の一人として知られております。


 いまはシャンバラから離れ、宇宙界のマスターの一人としてメッセージを伝えております。


 さて、今回私がお伝えしたいこと、それは「人の魂の持つ霊性と霊格について」でございます。


 「聖シャンバラ」とは、地球の中心核の空洞地帯(ゼロ・ゾーン)をいいます。

このため、地球の中心核へと入る条件としては非常に厳しいものがあります。


 まず、人として生まれながら、あらゆる苦悩、重圧、苦しみ、忍耐を克服し、

自己を極限までに見つめ、ただ一人の力のみで、真理に至らなければなりません。


 その理由は、地球の重力のすべてが中心部に加わってくるからで、

中心部は、ゼロ・空間に等しく自由な空間ではありますが、

そこに至るまでのプロセスとして、地底の重力に等しい意識上の重圧に

耐えられるものでなければならないからです。


 自ら、人生そのものを、苦を超越する存在とみなし、一生を修行に当て、

肉体のみならず精神をも鍛えてゆくことに専念させられるのです。


 この人生というのは決して楽なものではなく、

すべての重荷を背負って生きなければならないのです。

 そのため、チベット密教の修行の厳しさは他に類をみないものなのです。


 しかしながら、あらゆる苦の後には、楽が必ず訪れることを十分に承知しております。

ただそれだけの目的で、一生を修行に費やすことになるのですが、

それだけ精神性と覚醒性は深く、多くの修行者の心を魅了して止まないのです。


 種々の制約、禁断をあえて受け容れ、

自己の欲とエゴを超越することに一生を捧げることになるのです。



 確かに行法も覚醒のメカニズムの理由の一つでもあり、

極度の集中力によってあらゆる苦からの耐久性が養われてゆくのです。


 「人はなぜ苦行の道を行くのか?」


 それは、古来からの謎の問いかけでもあるのです。

 宗教的な修行のみならず、現実の生活に於いても、

そのような苦を克服することがすべてであるという決定論に固持しつつ、

日々の生活を耐え忍んでいる人々も多くみられます。


 このようにネガティブの重圧を自らに課し、さらには次の重圧を引き受けること…

 それは、その重圧の反作用としての至福を、それぞれの段階に於いて

体験できるからに他なりません。


 つまり、魂のキャパがマイナスからプラスにシフトするからです。

 その結果として大きな円となりうるからです。



 あまり、極端な修行は魂を傷つけることにもなり、人間不信に陥りやすく、

さらなるカルマを背負ってしまう結果ともなりかねないのですが、

この本で紹介している、ある程度の「極端さ」に挑戦してみるのも、

経験としては確かに役立つことと思います。


 これらの蓄積がその人個人の魂の霊性の開発につながってゆくのです。


 つまり、霊性(超能力)は、このような方法でも開いてゆくのです。


 ただ、問題点は、それらが直接の霊格の向上にはつながらないことなのです。

 霊格は、縦軸と横軸のエネルギーのバランス時にのみ、向上するからです。


 いかなる状況下に於いても常に横軸のエネルギーが必要であり、

そこには地球上のすべての存在への愛と感謝の気持が必要となってきます。


 つまりは、いかなる苦の状況にいようとも、苦を愛と認識できる寛容さが

必要となってくるのです。


 そして、最終的には、すべての苦も愛に根ざすものであることを認識できたとき、

シャンバラの覚者(マスター)へ迎えられるのです。



  トート様のいわれる「楽の道からの覚醒」と、私ヒラリオンのいう

「苦の道からの覚醒は」本質的には同じなのです。


 どちらの選択を求めるかはそれぞれの霊格とカルマに起因するもので、

個々に必要なプロセスを求めているに過ぎないのです。  


 そして、この原理を体得することがマスターへの道であり、

さらにはこれらの真実の要因はヒトの脳の二元性に起因するものであることを傍証しているのです。




 

 
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